2023年5月21日に開催されたウルトラマラソンの大会、柴又100Kに参加しました。
最高気温28度という炎天下の中、8時間20分34秒で無事完走することができました。
実はこの大会、私が10年ほど前に初めて100㎞に挑戦した大会で、65㎞で坐骨神経痛が酷くなりリタイアするという苦い思い出のある大会なのです。
その後100㎞マラソンは別の大会で2回、今回よりも好タイムでゴールしていますが、過去の大会の記録を付けていなかったことを、今回の挑戦で後悔したので、今後いつか100㎞に挑戦したくなった時の為に、練習や補給、レース中について記録しようと思います。
目次
練習
まず、レースの目標記録を8時間切りと決めました。
過去のウルトラの時も同じ設定目標でした。達成できていませんが。
練習については、岩本能史氏の著書、「完全攻略ウルトラマラソン練習帖」における、サブ3ランナーレベルの練習法を参考にしました。
私はそもそも毎週土日に40㎞→30㎞を走る練習をしていたので、基礎練習の様なものは行わず、レースの2ヶ月前から、土曜は42㎞を超えるレースペース走(4:48/㎞)を、日曜は2〜30㎞のジョグを実施しました。
レースまでに行ったウルトラレースペース走は、45㎞×1、50㎞×2、60㎞×1です。
本当はレース1ヶ月前に70㎞のレースペース走を予定していましたが、運悪く風邪を引き、1週間ほど無駄にしてしまいました。病み上がりは70㎞走れるはずもなく、土日に30㎞ジョグを2回走るくらいに留めました。
ウルトラレースペース走は、ノンストップで行わないと意味がないので、信号の無い河川敷の往復で対処。
景色が変わらないから地獄。が、結構慣れます。
柴又も景色の変わらない江戸川往復なので、単調な景色への耐性が付いたという点では良かったと思います。
本番での装備選択も重要なので、ボトルポーチ等もちゃんと装備して走り、試行錯誤しながらレース装備を決めていきました。装備については後述します。
レース1ヶ月前からは練習量を落とします。
とは言え、心配機能は効率的に高めたいので、坂道の多いコースの33〜35㎞を2回走り、その後の週末は長くても35㎞のジョグ(5:20/㎞程度)を実施。
レース1週間前からは、土曜25㎞ジョグ、日曜20㎞ジョグ、月曜レスト、火曜20㎞ジョグを、水曜10㎞ジョグ、木曜10㎞ジョグ、金土レスト、といった形で本番に臨みました。
本番前のレストをもう少し多くしても良かったかもしれません。
装備&補給食
レースに持って行った装備と補給は以下です。
サロモンのウエストベルト
これに、1個辺り約120kcalのエナジージェル×7と、経口補水パウダー×10、ベスパハイパー×3を入れました。
意外と収納力があり、出し入れもし易く、かつ揺れない優れものです。
ノースフェイスのウエストバッグ
これには500mlドリンクボトル、アミノバイタルパウダー×5、スマホ、無線イヤホンを入れました。
ドリンクボトルは、練習で長いボトルと短いボトルの2つのタイプを試しましたが、長いと揺れが気になるため、本番では短い方を採用しました。
ボトルの中身は、ベルトに入れたものと同じエナジージェル×7、アミノバイタルパウダー×5、経口補水パウダー×5、ポカリスエット250ml、水適量。
以上が装備と補給食です。
本番では折り返し地点でのドロップバッグ受け取りはせずに、手持ちの補給食とエイドだけで何とかする作戦。
過去の大会もその様に戦ってきました。
柴又100K当日
いよいよ待ちに待った柴又100。
起床時間
レース当日において、何時に起床するのかは大変重要。
だいたいスタート3時間前には起床し、食事を済ませておくのが理想とされています。
スタートは6:37なので、私は3時に起床しました。
しかし、普段通りの習慣から、いきなり3時起床では完全に寝不足になり、レースにも多大な影響が出ます。
そこで私は、金曜の朝からレース当日の朝にかけ、段階的に早起きしていく作戦を取りました。
金曜5:30起床/22時就寝→土曜4:30起床/20時就寝→日曜3時起床といった形です。
完全レストの土曜は日中の眠気が酷いですが、何とか我慢しました。
お陰で日曜3時起床にも関わらず、全く睡眠不足を感じないベストコンディションに仕上がりました。
朝食
レース前の食事もかなり重要。
最後の糖分補給チャンスなのです。
私が食べたのは、冷凍うどん2玉と、エネモチ×5。
エネモチ
エネモチはレース中の補給食としても優秀で、パラチノースを含むため、糖質がゆっくり使用されて、エンデュランス系スポーツには打って付けです。しかも割と美味しい。
これを3つは自宅で食べて、残り2つは大会会場に到着する直前の徒歩中に食べました。
直前までエネルギーを補給し続ける作戦です。
トイレ
レース前のトイレもかなり重要。
レース中にトイレに行くと、無駄にタイムをロスしてしまいます。
私はいつのレースも、最寄駅付近のコンビニエンスストアや公衆トイレをチェックし、他のランナーが立ち寄らなそうな方面のトイレを利用するようにしています。
トイレ渋滞を避けられるからです。
これ、かなりオススメ。
大会会場ではトイレが必ず行列するし、だいたい和式なので、下半身に無駄なストレスをかけることになり勿体ないのです。
レース
さあ、6:37分となり、スタートの号砲が鳴りました。
この時点では気温18度ほどで空も曇っていた為、かなり快適な気象条件でした。
今大会では、なんとウルトラマラソンでは珍しく55㎞まで引っ張ってくれるペーサーがいました!
私の目標は8時間切りなので、8時間ペーサーに着いていきます。
8時間ペーサーは2人、序盤はそれに連なるようにだいたい15人程度の集団が形成されました。
私はペースメイクが苦手。
なので、ペーサーがいると本当に楽。頼りになるなぁペーサー。
集団はおよそ4:45/㎞のペースで進んでいきます。
本大会のランナーゼッケンには、ランナー本人が設定した目標記録が記載されたのですが、集団のほとんどが9時間前後の設定。
おそらくイーブンペースは難しいと考えて、前半稼ぎ、ネガティブスプリットで9時間切りをする作戦なのでしょう。
9時頃から気温が24度近くまで上昇し、風が吹かないと日差しの暑さを実感するようになって来ました。
補給
補給は、前半は5㎞ごとにボトルポーチのスペシャルドリンクを一口含んで、エイドで口を濯ぐ。
後半はエナジージェル1、経口補水パウダー1、アミノバイタル1をエイド直前に摂り、エイドの水で口を濯ぐ。
といった形で行う予定でした。
前半は概ね上手くいき、調子も良かったです。
パウダー系は後半摂るのが厳しくなってきて、思いついたら摂るような感じになります。
しかし、エナジージェルだけは、手持ち分は全部無理矢理にでも消費しました。
走りを止めてしまう大きな原因が糖分の枯渇ですからね。
30㎞通過
30㎞通過時点は「意外と早いし楽勝」という感じで、「これは目標達成できるかも」と思いました。
スマホの応援アプリを見たり、江戸川河川敷に並んだグライダーが珍しく、走ったまま写真を撮る余裕すらありました。
50㎞通過
ようやく折り返し50㎞地点は五霞町。
何となく左足の小指と両足の親指が痛くなってきました。
五本指ソックスとの相性が良くないのかもしれません。
集団を形成していたランナー達のほとんどがドロップバッグの受け取りで立ち止まり、8時間ペーサーに付いているランナーは、私含めて3人となってしまいました。
そして55㎞地点までそのままの集団で走行。
本当にペーサーに引っ張ってもらうのは楽でした。感動!!
しかしこの時点で、「このペース最後まで持つかな?」と一抹の不安も。
お世話になったペーサーお二人に感謝を述べ、足を進めました。
単独走は厳しいので8時間ペーサーに付いていた残り2人のランナーと集団で走ろうかなと思ったのですが、これまでと同じペースで走る私に対し、この2名のランナーはどんどん遅れていきます。
やはり設定ペースが9時間前後なので、ここからはペースを落とす作戦だったのでしょう。
単独で走り抜くことを決意しました。
60㎞通過
60㎞通過後、だんだん次の距離表示を通過するのが長く感じられて来ました。
つまり、これまでのペースがキツくなってきてしまったということです。
そして気温は26度近く。
喉もめちゃくちゃ渇きました。
65㎞地点で尿意を生じ、トイレに駆け込みました。
1分ほどのロス。調子が悪いと思い出します。
それ以降、ペースを、5:05/㎞〜5:20/㎞くらいで走るように改めました。
しかし、ネガティブな気持ちでのペース見直しのためか、このペースでも結構キツかったです。
70㎞通過
遅くしたペースで70㎞を通過、その時大会関係者の方が、「4番だよ!4番!」と声をかけてくれました。
おそらく一般の部で現在順位4位ということだろうと思いました。
俄然やる気が出てきます♪
マラソンは不思議で、気持ちが昂ると調子も良くなります。
55㎞までのペースは出せませんが5:05/㎞くらいのペースが安定して、キツさがなくなりました。
「このままのペースで行けるとこまで行こう」そう前向きに思えました。
80㎞通過
80㎞を通過、この時点では喉の渇きがピークで、エイドで立ち止まるとスポーツドリンクや水をがぶ飲みしていました。
70㎞地点で得た調子の良さも、82㎞くらいまでで終了。
太ももは筋肉痛を生じ、足の指の痛みはピーク!
絶対黒爪になってると思ったところに、畳み掛けるように未舗装の砂利道。
「舗装しとけよぉ」と愚痴を言いながら走りました。
90㎞通過
90㎞少し手前、やはり暑さによる大量の発汗、摂りすぎた水分によって急激にお腹が痛くなり、トイレに駆け込み酷い下痢。
仮設トイレは和式。
これまで約90㎞走ってきたダメージを抱えてしゃがむのは大変な勇気がいりましたが、何とか用を足して、コースに戻ります。
3分程度ロスしました。
90㎞地点では、職場の先輩が応援に駆けつけてくれていて、スポーツドリンクとエナジージェルを併走しながら提供してくれました。
ほんと、この地点での知り合いの応援て、泣くほど助かる。
「意外と元気そうで驚いた」と言われたけれど、こちとらもう満身創痍(笑)
ただ、やっぱりやる気は出ましたね。
ゴールへ
さて、走り続けた柴又100Kも残すところ10㎞。
ペースアップはしたかったけれど、この時点で気温は28度程。
右から照りつける日差しが肩を焼き、ヒリヒリとした痛みを感じていました。
そして、やはり内臓にダメージがあるようで、水を摂る度にお腹がギュルギュル言います。
もうトイレでのタイムロスは嫌だと思ったので、水分を摂らない作戦に出ました。
そこでペースアップは諦め、85㎞付近から続く5:20/km〜5:35/kmくらいのペースを守ることにしました。
後ろから来た同じ一般の部のランナーに抜かれます。
「速い。足を貯めてたんだな」
あのペースは負えない。悔しいけど諦めます。
そんなこともあれば、私が一般の部の別のランナーを抜き去る場面もあり、やはりここまで来ると皆が辛いのだと実感。
ゴールまであと3㎞。
見慣れた水元公園付近。昔は良く走ったなぁと思い出す。
あと2㎞。
水戸街道の高架を通過すると、陸連の部ランナーが見えて来ました。
泣いても笑ってもあと2㎞。それくらいならペースアップはできると踏み、少しでも総合順位を上げようと抜き去りました。
あと1㎞。
ゴールのテントが小さく見えて来ます。
沿道の応援が拍手を伴い「お帰り」に変わると、もうすぐ終わることを実感。
ゴールゲートが見えます。
声援とアナウンスに迎えられゴールテープを切る。
思わず雄叫びを上げました。
辛く長い100㎞の旅の終わりです。
レースを終えて
冒頭でも言いましたが、今回の柴又100K記録は8時間20分34秒でした。
8時間切りを最大の目標としていましたが、暑さで大きく崩れた場合の第2目標が、実は5:00/kmイーブンペースでゴールした場合の8時間20分だったので、予想通りの結果とも言えました。
言い訳にしかなりませんが、暑熱順化をできないままに、暑い日の100㎞で好記録を出すのは難しいと感じました。
今大会はトップレベルの選手も熱中症でDNFするくらいの過酷なレースでした。
そんな中で、棄権せず完走し、第2目標を達成できた自分を、少し褒めてやっても良いのかなぁと思えた今日この頃です。
ま、柴又は2度と出たくないけど(笑)